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苦しかった学校の対応(保護者のきくたろうさんより)

2020/11/14

きくたろうの夫です。今回は私が書かせて頂きたいと思います。 

 

長く、また固めの文章となってしまいましたが、記録として語り残しておきたいと思いましたもので、どうぞご容赦下さい。 

 

これまでの投稿で、息子がH担任とそれに影響されたクラスメイト達の仕打ちにより、死の恐怖に怯え、摂食障害になるまでの適応障害に陥らされ、ついに不登校になってしまった所までお話しましたが(その後の事も一部はお話ししましたが)、そこから始まった2年半にわたる日々はその倍ぐらいに感じるほど辛いものでした。

 

今回は 特に学校等、諸機関とのやりとりについてお話したいと思います。 

 

息子からの話に基づき、事実の確認と善処のための話し合いの場を学校側と何度か持って行きました。H担任と直に面談する事は、あまりに辛く、冷静に話ができる自信が無い為、H担任を除き、校長・副校長を中心に話し合いを進めて行くようにしてもらいました。

決して、“モンスター”的な態度ではなく、共に問題解決して行こうという態度で臨んで行ったつもりです。 

 

まず、事実確認についてですが、最終的には文書による質問状に文書で回答してもらう事にまでなったのですが、「不適切な指導もあった事はお詫びします」との抽象的なお詫びの言葉はありましたが、具体的な部分では、「肩を強く掴んだことはあった」ということは認めましたが、「胸ぐらを掴んだこと」や「土下座させたこと」など、重要な部分を認めることはありませんでした。特に驚いたのは、H担任対息子の出来事だけでなく、H担任対親の出来事さえ、「そのようなことは無かった」と否定して来たことです。

 

例えばこのようなことです。H担任の言葉遣いがチンピラのような荒っぽいものになり、クラスの雰囲気が嫌なものになっていたことをお話しましたが、こんな事があったのです。

 

 学校終了後に通っていた学童クラブの先生が報告してくれたのですが、学校から到着する予定時刻を30分も過ぎても学童クラブに現れないので、学童クラブの先生が学校からの道を探しに行ってくれたそうです。

そうしたところ、途中の公園で見たこともないほどしょんぼりとうなだれている息子を発見、息子は「もう誰も味方がいなくなった・・・」と言いながらH担任に怒られた事を話してくれたとのことでした。

そこで、そのあと、私からH担任に電話を入れ、何があったのか質問をしました。そうしたところ、その返答の言葉遣いにびっくりしました

とても教師とは思えないまさにチンピラのような言い回しで

「ありゃあねエ、被害妄想なんっすよォーー」

責任は息子にあるという論じ方もともかく、なにしろそのひどい言葉遣いが、私もしっかり耳に残っています。

結局、何があったのか詳しい説明もありませんでした。 

 

(後の調べでわかったこの日の出来事は、息子の帰り際、H担任に掃除当番の仕方と級友にぶつかった事との2重の理由で長時間居残りさせられて激しく叱責され、楽しみにしていた学童クラブのイベントにも間に合わなかった、という流れだったようです。) 

 

このことについても確認したのですが、「そのようなことは言った覚えはない」と、なんと親が直接聞いた事まで否定して来たのです。 このような調子で、学校との話し合いは、なかなか前に進まずでした。

 

不登校になってから数日の内に、東京都の教育委員会に相談したところ、「区の教育委員会に相談して下さい」と言われ、区では、Iさんという方が担当で、学校との話し合いの場にはいつもお声がけし、入って頂きました。この方は、私共の話を親身に良く聞いて下さり、良い方向に進みそうな感じになりました。 

ところが、このIさんが定年退職されてしまい、後任になったHさんは、学校との話し合いの場に呼んでも、私共が話している途中で話をさえぎり、学校側の立場を擁護する論調で偉そうに講釈を垂れ始めるような人でした。

妻から「この件は重大事態に該当するのではないでしょうか」と質問した時には、「ならないです!何がしたいんですか!」、と威圧的な口調で強弁して来ました。

 これでは来てもらっても仕方がないと考え、もう教育委員会の人を呼ぶのはやめてしまいました。 

 

威圧的な口調ということでは、こんな事がありました。 

 

息子の親友の同級生が情報を教えてくれました。「H(担任)先生が●●君(息子)の事をウザイって言ってたよ。」と。

教師が自ら担任するクラスの生徒のことを「ウザイ」と他生徒に公言するなんて、とんでもないことです。

 

そこで、この件を学校との話し合いの中で、事実確認を求めました。

 

そうしたところ、次の話し合いの場で、事実確認をして来たという学年主任の教諭が、私たちに、強く大きな声で「証言した生徒も担任も『ウザイ』なんて言った覚えは無いって言ってますよ!これ以上追求すると二人の友情にヒビが入りますよ!それでもいいんですか!」と威圧的に罵倒して来ました。 

 

被害者は私達のはずなのに、なんで、私たちが怒られなくてはいけないのか!学校であった事が原因で、息子は死の恐怖に怯え、摂食障害になるまでの適応障害になって不登校になり、私は仕事をやめざるをえなくなり、この頃は、妻も心身症になり、そして私もその後、脳梗塞・脳血管狭窄・高血圧症・パニック障害になり、経済的にも困窮させられ、家族がズタズタにされているのに。 

 

ちなみにこの「ウザイ」の件について、後日、その息子の親友に改めて、「いつ聞いたの?」と尋ねてみたところ、「だいぶ前に言ってた~」との返答。これを聞いて、子供は、学校から聞かれると怖くて言えないんだなと理解しました。そこで、子供に負担をかけてはいけないと考え、それ以上の追求をやめました。 

 

同様、他の級友たちについても、迷惑がかかる可能性があるのと、学校の強権の下にある級友たちから正しい話が聞けない可能性もあるので、広く級友たちに証言を求める行為は行ないませんでした。 

 

さて、すでに経済的損失も数百万円単位になっており、何とかできないものかと焦燥にかられました。

お金がないので、弁護士の無料相談に行ってみましたが、「私立ならともかく、公立学校や自治体が過失を認める事はほぼ無く、ほぼ無理」と言われました。

それを押して、お金と時間をかけて裁判など出来ず、また家族全員体調を崩して、そういったエネルギーももう出せず、そういった方向性はあきらめざるをえませんでした。

ですが、おかしな話です。現代社会で、絶対に非を認めない公的権力機構が実在するなんて!

しかもそれが最大に人に優しく公正であるべき教育の世界がそうであったとは。

きっと、その陰で泣き寝入りを強要されて来た人々が幾多あるに違いありません。

 

 せめて息子をなんとか救いたい。 

 

息子が学校に行けるように、H担任をこの学校から異動させて欲しいとの提案もしましたが、「人事権は東京都にあり、人事は、12月に終わってしまっており、もうひっくり返せません。異動はありません。」と言われ、その話も進みませんでした。

それが本当だとしたら、この硬直した機構は何なのか。12月の東京都の人事委員会決定後は、当該教員が何を起こそうとも、決められた地位は守られるという事か。 

 

さて、ここからは、結局、学校がしてくれた事はどんな事だったのかをお話したいと思いま
す。 

 

まず、最初は、担任が家庭訪問に来たいと言って来ましたが、それこそ最悪。担任が恐怖で不登校になっているのに。親だって会いたくもありません。断りました。

 

 そのあとクラス数人からの「待ってるよ」的なお手紙が届けられましたが、クラスメイトからのストレスで不登校になっているわけで、息子はほとんど手紙を見ようともしませんでした。 

 

数か月してから2名の教員が何度か家庭訪問に来、息子が生き物好きなので、きっかけにしようとしてか、学校の池のオタマジャクシを数十匹持って来ました。その後、親子で一生懸命育て(餌の確保などかなり大変でした)て、数か月後、カエルにして学校に持って行ったら、当該教員は、迷惑そうに「その辺に放しといて」と冷たく言い、手間暇かけて育てた赤ちゃんガエルは、誰に見向きもされない中、寂しく私と息子の手で学校の庭に放たれました。

 

 生き物が好きな事から、理科の先生とはつながっていたので、最初は学校に近づくこともできなかった息子も、理科の先生にだけは会いたいということで、ときどき学校に入れるようになりました。

しかし、例の担任はもちろん、他の生徒とも会いたくないので、忍者のように隠れながら潜入するのです。

 

 そのうち、学校から“別室登校”の提案がありました。

クラスの担任やクラスメイトがだめなら、別室で登校したらどうかという話です。

「学校に連れて来てもらえば、学校に任せて頂き、お父さんはその間、ゆっくりして頂いて結構ですよ。」との触れ込みでした。

ところがその実態はどうかと言うと、空き教室に入れられ、習った事の無い内容の問題プリントが渡され、「これをやっておいて下さい」と言われ、あとはずっと放置です(たまにちょっとだけのぞきに来ますが)。つまり、プリントを渡されて空き部屋に閉じ込められるだけでした。

 

これが“別室登校”というものなのでしょうか?

 

ちょうどこの頃、「次の学年になれば、例のH担任は(学校内の教師の配置転換の習わしにより)息子の担任ではなくなる事は確実である事がわかったので、息子に「それなら学校に行けるか」と聞いたら「行けるかも」とのことなので、既に3学期に入っていましたが、次の学年までに勉強の遅れを取り戻さなければと考え、こんなペラペラな“別室登校”に任せておけないので、私は一念発起して、学校に許可を得てチャレンジタッチを持ち込み、3月までの学習計画を立てて、私が毎日教える事にしました。たまたま私は教員免許を持っていますが、大卒時の教員採用試験に落ちて以降一度も職業教師をした事は無いのですが、こんな形で学校の中で息子を教える事になろうとは思いませんでした。

ところで学校の教員はと言えば、“別室登校”の始まりと終わりにだけ来て、学習成果を見て「頑張りましたね」などと言うだけでした。

 

“別室登校”ってこんなものなのでしょうか?

 

妻の知人が関西で適応指導教室のスタッフをしていますが、「そんなのありえない」と怒っていました。

 

 ちなみに私は、このさ中に救急車で運ばれ、幸い、脳梗塞は軽度に済みましたが、脳血管狭窄と高血圧症は治療が必要となりました。必ずしも一連の不登校事件がこの病気のすべての原因ではないと思いますが、そのストレスは関係していたと思います。 

 

さて、息子は私と頑張り抜き、2か月半で1年以上の勉強の遅れを取り戻す事ができました。 

 

そして5年生になるとともに、(担任もクラスメイトもクラス替えした新しい)クラスに、登校再開する事ができたのです! 

 

嬉しくて、親子3人で登校し、記念写真を撮ったものです。

 

しかし、息子の適応障害は深刻だったのです。

 

息子は大変な緊張感と戦いながら登校していたのです。 

 

まず朝は、誰よりも早く一番に教室に入っていなければ怖くて過ごせないと感じ、開門とともにダッシュで入って行きました。これは、もしも遅れて教室に入って行った場合に受けるクラスメイトからの視線に耐えられない為です。

 

 日々、ちょっとした級友とのやり取りにもショックを受けて帰って来ました。例えば、集団行動中、「早く行けよ!」と級友に怒鳴られるなど、荒々しい言葉をかけられるだけでも大きなショックを受けました。その一方、無視にも敏感でした。 

 

そのような調子の為でしょう、友達の輪の中には上手く入って行けませんでした。 

 

何度か勇気を出してクラスメイトに声をかけたのですが、緊張感を押して頑張って声掛けしているので、やや不自然な声かけになっていたせいでしょうか、あるいは他の原因かわかりませんが、級友から、無視されたような形になる事が重なり、ショックを受けることが続きました。 

 

新担任の先生に相談しましたが、あまり有効な手立ても打ってくれませんでした。 

 

また、息子は、例の以前の担任H教諭とも、度々、校内で接近遭遇し、大変なストレスを受けました。 

 

耐えられない程のストレスがたまり、結局、1カ月で学校に行くことは無理になりました。

 

そして再び不登校の日々が始まったのです。 

 

以前同様の不登校ではありません。

今回、登校がうまく行かなかった事が更に大きなショックとなり、適応障害は以前よりもひどいものなってしまったのです。 

 

「子供」と接触する事が全くダメになってしまいました。

あらゆる子供です。道を歩いていて、全く知らない、二度と会わない子供とすれ違う事さえ出来ず、逃げ隠れるようになってしまったのです。 

 

なかなか外出に連れ出す事も難しくなってしまいました。

家から10メートル歩いただけで「もうだめ」と家に逃げ帰ったりすることもありました。 

 

新担任は、H教諭のような暴力性は無い代わりに、クールな人物で、欠席中の持ち帰りプリントをまとめて取っておいてくれるほかは、これと言って何もしてくれませんでした。

 

この後、学校のしてくれた事と言えば、「●●(息子の名前)さんの学習について」という仰々しい計画書を渡されましたが、要は、週1回、1時間だけ学校に来てもらい、学校に研修に来ている大学生が付き合ってくれ(教員ではなく!)、そこで勉強ができればいいし、一緒に遊んでもいいというゆるゆるのものでした。 

 

それでも、息子は行くと言ったので、また忍者のように他の生徒や教員に見つからないように隠れて学校に潜入して連れて行きました。

結局、大学生に1時間つきあってもらっていただけです。 

 

この他、スクールカウンセラーのY先生とは2週間に1回ずつ息子と、時に応じて親も1時間面談してもらいました。以前の、いじめを放置して親に報告もしなかったダメなスクールカウンセラー(この事件後、急遽退職される)とは異なり、このY先生は、苦しい不登校期間の中でも、最も親身に正義感をもって話を聞いてくれる人でした。ですので、このY先生はこの区の教育行政がダメなこと(この辺は次回お話したいと思いますが)を憤っており、私どもに盛んに区外への転居・転校を勧めて来たものです。特に情緒障害児の為の固定の特別支援教室がある市区町村を勧められましたが、転居費用の捻出も難しい上、週1回ほど特別支援教室の授業がある以外は通常学級に属するとういう程度ではどうも不十分な気もし、今一つピンとくる転居・転校先が見いだせず、私共は、もどかしい思いもしておりました。 

 

他ルートから、全国随一の不登校児の為の手厚い公立学校があるという情報を得て、10か月後に転居するまでの間、私達家族は、先の見えない、苦しい不登校生活を送ることになるのです。

 

 ところで、H教諭による被害者は私たちだけではありませんでした。

I君というクラスメイトも、H教諭のやり方に耐えられず、遂に北陸の母親の実家に転居する形で転校して行ったのです。I君は転校先で温かく迎えられ、良好な学校生活を送っているとの事で、それは良かったのですが、一方その父親は仕事の関係で東京に残ったとの事で、いわば、一家離散の悲劇とも言えます。

 

10カ月の苦境の後、私達が転居した翌月、驚くべき事がありました。

 

 何と、H教諭が学年主任に就任したとの情報が入ったのです。 

 

自分の言った事を言った覚えはないと嘘をつき、自分がやった暴力行為の他言をするなと生徒に口止めし、自分の行為により、少なくとも2人の生徒が転居・転校に追いやられた事実を闇に葬り、学校は平静を装い、教育委員会もそれに同調し、ペナルティを受けるどころか、何事も無かったかのように、順調にキャリア・コースに引き上げられて行く。

なんと腐った世界か!生徒たちやその家族たちに何が起ころうが関係ない、いや、それらを踏み台にして、教師たちは公務員として自分たちのキャリア・コースを上って行くのか。

 

 ちなみに、この時点で、事件が起こった当時の校長と副校長(共に別の案件で懲戒処分)も既に他校へ転勤済みです。恐らく転属先では何事も無かったように新たな業務に就くのでしょう。公務員の一定期間ごとの転属は、元来は一か所に長く留まる事により特別な権力を持つようになることを防止するなどの理由だったのでしょうが、今や、多少の不祥事もフタをしてリセットして立場を守る為のお役にたっているとも言えます。 

 

さてさて、それに加えての驚きは、この学校が、「ESD大賞・小学校賞」なる表彰を受けたのです。

“ESD”というのは“持続可能な開発のための教育”の略だそうで、学校全般を表彰された訳ではないにしろ、お手本にすべき良い学校とお墨付きを得たわけです。

 

 生徒が成長を持続できないような学校がどうしてこんな表彰を受けられるのでしょう。 

 

それは内側の不祥事にフタをして外ヅラを体裁良くしているからにほかなりません。 

 

うちの息子についても、先にお話ししたゆるゆるの“別室登校”でも、それに通っている日数は登校日数とカウントされており、更に適応指導教室(次回お話ししたいと思います)に行った日数も登校日数にカウントされているので、外向きには不登校の生徒とはカウントされていないのだと思います。

そしてぜんぜん勉強など進んでいなくても、小学生に留年は無いので、他の生徒と一緒に6年間で出て行く訳です。 

 

また、この学校は以前から「ユネスコスクール」であることが自慢で、色々なところにその看板を掲げています。

 ユネスコスクールは、“ユネスコ憲章に示されたユネスコの理念や目的を学校のあらゆる面に位置づけ、「児童生徒の心の中に平和のとりでを築く」ことを目指す”のだそうですが、教師からしての暴力・暴言がはびこり、生徒の心に平和を築けないような学校の何がユネスコスクールなのか。

私共の在学中も、ユネスコスクールであることで、生徒にとって特に何の恩恵も無く、置き去りにされました。

ユネスコスクールだなんて、ただの学校の外ヅラの自慢としか思えませんでした。 

 

そんな学校でした。苦しい2年半でした。 

 

次回は、今回語り切れなかった諸機関・教育行政等についてお話できればと思います。 

 

以上